益次郎の考察部屋

気になったアニメの妄想考察と思いのままに気のままに

活動と停止とは

生存のための資本活動、欲を満たす資本活動、意志を現す為の資本活動

この3つの活動を、身体性、意味性、意志(意識と自我)の実現性とすると、

1)腹が減った。食い物を探さねば。から

2)もう半日も獲物を待っている、なんでこんな事しているんだ。腹を満たすためだ。となり

3)あそこに、俺の獲物を横取りするやつがいる。どうにかせねば。となります。

この「どうにかせねば」は身体性から意思を経て、意味性へ、そして意志として身体性、意味性へ再還元され、成就するか砕かれるまで再生産されます。この時注意が必要なのは、意志を経た身体性、意味性には、脳内活動の妄想が内包されていることです。一生懸命考えた結果が現実に合わない、通用しない妄想だった、なんてことはよくあります。

現実世界に触れて折り合いをつけバランスをとって初めて、人間世界の自然則となります。日本のことばにある、お互い様、おもてなし、一期一会、諸行無常、思いやり、などがこれにあたるのではと思います。養老先生が言っておられる「手入れ」はこんなことではと勝手に解釈しているのですが、トヨタ自動車の「カイゼン」もこれに近い考えだと思います(ちょっとストイックですが企業なので当然でしょう)。

法を作り使うのは人間です。人間の脳みそが作り出したものは本来妄想ですが、その妄想を共有し、理念として、人間の妄想を打ち消すのが「法の支配」だと思っています。この支配は現実世界に触れた意思が「どうにかせねば」と活動する意志によって生まれた循環を停止させる意味を持ちます。成就せずに止められないと、残念ながら御用になります。国なら亡ぶこともあります。

日本では、空気という「自然則の支配」が活発なので(西洋では倫理に当たるのか?)、「法の支配」との塩梅が難しいのかもしれません。また、自然はよく暴れる(人間から見て)ので、手入れも必要になります。

 と、活動と停止を考えてみました。

 

注)下から2行目「それを抑える」としていたのを「手入れ」で再構成しました。