益次郎の考察部屋

気になったアニメの妄想考察

戦争について思う

この世界の片隅に」観てきました。この映画はとても大切な物だと思った。だから感想とこの文章を分けて掲載することにする。映画の感想はこちらに書いてあります。

 

masujiro-u.hatenablog.com

 

この文章には私個人の思い込みが多分に含まれている。この映画は観た人の心に寄り添い、それぞれの人が何かを探れるものだ。一つの意見として読んでもいいという方は読んでみてください。ネタバレもあるので、まだ映画を見ていない方はそのことを了承したうえで閲覧してください。以下から、

 

私はこの映画を観る前から身構えていたので、予告から妄想していたものが下の文章です。見終わった後に加筆もしているので何とも変ですが、できるだけそのままの形にしています。最後の方に感想があります。ネタバレもあるので、まだ映画を見ていない方はそのことを了承したうえで閲覧してください。

 

まず初めに、私はまだこの映画を見ていない。なのにこんなことを書くのは、覚悟を決めて観ないと、観れない類の映画ではないかと思っているからだ。(原作も読んでいない)

人にとって大切なものは、自分、伴侶、子、家族、郷土、社会、地域、民族。それらをより良くするための、経済活動、法の統治(法治主義での法ではなく、コモン・ローのようなものをイメージしています。法の下に治められている社会という感じです。法の支配で検索すると難しい話がいろいろ出てきます。)、国家の形成。お互いの価値観を容認し共に暮らしている限り、決定的な対立は起きない。しかし、「人々」は「自分たちの正義」を他の社会にまで押し付けようとする。かつての日本は、帝国主義という国際的ゲームに取り込まれ、その中で生きていくしかなかった。そして、そのルールに基づきアジアに戦火をまき散らした。このゲームにより世界史的には植民地主義が終焉し、より多くの人々が「人の尊厳」を保てる社会を得る結果になった。しかし、これは結果論に過ぎない。その行いを肯定するために用いるべきではない。

戦は人の大切なものを奪っていく。この事実に変わりはない。しかし、ヤジディ教徒やコソボ紛争時に起きた事、世界史はそのような事態で満ちている。「人の尊厳」が奪われた時、あるいは奪われようとしている時、人は戦うと思う。「人の尊厳」が奪われた状態が常態化すると、かつての奴隷主義時代に戻ってしまう。

人々はいつの時代も生きて来た。ただただ今の日本の幸せを思わざるおえない。人間の社会は少しずつでも、良くなってきているのだと思う。だが、それを一瞬で破壊してしまうのもまた「人」だとういことだと思う。

 IS ヤジディ教徒虐殺の実態 | 国際報道2016 [特集] | NHK BS1

これもするし、原爆も使う。日本人も例外ではない。それを知ったうえで、「寛容さと厳しさ」をもって「国家」は在らねばならないのかも知れない。幸か不幸か日本人は、自分の所属している郷土、社会以外の惨事を自分達の事として感じる機会が多い。そこから得られる、共感性と思いやり、寛容性と厳しさを知っているだけでも恵まれているのかもしれない。

情報化社会の進展と共に、情報という形では色々なことを知る機会が増えた。しかし、9.11の時、アメリカが受けた衝撃の様に、人は自分の身の回りに起こるまでそれが現実だとは思わない。どこか架空の世界の事だと思い込んでいる。あの衝撃がもたらされたとき、冷静な判断を下せる民主主義社会があるのかといえば、2016年現在のG7(民主主義経験の長い国代表という意味で)の政治状況から悲観的にならざる負えない。

日本社会がそのようなことになった時「寛容さと厳しさ」の中でどのような決断をするのか。「戦」もその時の選択手の一つだという事を忘れてはならない。そして、「戦争」をするという事がどういうことなのか。人がどれだけ真剣に考えても足りないほど、その結果は、取り返しのつかないものになる。

 

そして観てきました。思想的なものを限りなく抑え、すずに寄り添い丹念に丁寧にその家族と生きる町、生きてきた町、生きてきた証が描かれていた。失うものも、得るものも、与えるものも、奪うものも、すべて淡々と、しかし確たるものとして、その存在を描いていた。この映画は「人の尊厳」に関わる部分を描いている。晴美の死の記憶を詳しかった軍艦と白波のウサギと共に想い出す。原作を知らないので、原作でこの部分がどうなっているのか分からない。映画では、私はここに思想的なものを感じなかった。命を奪った戦争の道具である軍艦ですら「人の営み」の一部であり、想い出の一部なのだ。晴美の生きた証の一部であり、そこには「人の尊厳」が宿っている。だが戦争が無ければそれが大切な想いになることもなかった。そして哲は、青葉の前で亡霊のように立っている。その哲にすずは声をかけない。

すずは憲兵に描くことを奪われ、爆弾に晴美と右手を奪われ、原爆に故郷と両親を奪われ、敗戦に今まで奪われたもの、その意味すら奪われる。それでも、一日一日を周作と共に生きていく。小物入れの口紅が砕け散る銃火の中、命を懸けて守ってくれた周作。奪われたものと共に生きてくれると言ってくれたその人を抱きしめた時、すずは周作と歩み始めた。すずがすずで在る限り、ここはもう、生きてきた場所であり、これからも生きていく場所なのだ。そして、新しく迎えた家族も一緒に、これからも歩んでいく。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとう御座いました。