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益次郎の考察部屋

気になったアニメの妄想考察

「君の名は。」考察11

 君の名は。」のネタバレを含む、感想、妄想考察です。他人の意見に左右されたくない人は御注意下さい。

 

 

 

 

 

 

再考 

瀧がご神体の地でかけたのは、自分の命でした。(あの入れ替わりで、命を落としていたら、おそらく瀧の魂は失われる)そして、それだけでは足りず、三葉の命もかけています。三葉の空間は三葉自身にしか救えないのです。彼は三葉の生きた世界を救おうと本気で動いています。目の前の、見えている三葉だけでなく、その結ばれた空間そのものを救おうとしているので、黄昏の邂逅時、抱き合ったりしません。瀧は三葉の目で見た空間からその世界を感じ、三葉を感じていたので三葉自身と三葉の空間との境界が曖昧なまま、ここまで来ています。三葉の手に「言葉」を残そうとした時、彼の中の二つの三葉は一つになり、そして瀧は三葉に恋をします。

このとき危ないのは三葉の方です。彼女はすべてを失っています。瀧を見つけて凍り付いた後は、彼に頼るしかありません。まだ間に合うと諭されますが、それを受け入れられるか。神話などではここで、人の業ゆえの結末を迎えます。

瀧の名前を忘れた三葉は勅使河原に鼓舞され、忘れてしまった人の思いの丈にふれ、再び走りだす力を得ます。ここで、三葉の動機は瀧に言われて動いていた個人的なものから、自分が結ばれている空間へ変わります。手の平の文字は「今のこの空間の事を信じさせてくれた人がいた」と信じさせてくれる、おまじないです。

ここでの、三葉の行動を受け入れられるのは、日本という国の特性と日本で好まれて語り継がれてきた物語の特性によるのかもしれません。(エンターテインメントでは抱き合ってキスしようが、延長タイムが発動しハッピーエンド、バットエンドに突き進んでいきます。)

 

\\\2016/10/12 追記

ここの失った物の考え方だが、瀧は命を懸け、三葉の時空に赴く。この時避難指示を出すことに失敗すると、隕石により瀧の魂は失われ、瀧の体には三葉の魂が宿ったままとなり、三葉はすべてを失った状態で放置される。(父は生きているかも?記憶が定かでないのでわからない)

しかし、黄昏の邂逅により、それぞれが背負った物を分け合う。ここで「名」の意味が関わってくる。名が意味を持つには「名」と「実」、2つが揃わないと意味をなさない。「名」だけでも「実」だけでも意味をなさない。

瀧と三葉は「名」を失い、「実」のみの者とされ、2人それぞれの空間から意味を奪われる。(存在を否定される)ある意味、死よりもひどい。また、三葉が失った空間(人々)は瀧が引き継ぐ。ひどい言い方だか、彼の記憶から糸守の人々の記憶はすべて失われるので存在しない(実のみの存在)のと同じことになる。

 

ここは概念的で私自身説明しにくいが、小柴さん達がノーベル賞を取った、ニュートリノの観測と、森田さん達の新元素発見、命名のような物かなと思ってもらえればいいのかなと思います。

ここまで追加\\\

 

\\\2016/10/26 更に補足なんとも分かりにくいが、こんな感じかなって事で。

三葉は三年前の瀧と出会った時その名を呼び、黄昏時もその名をお覚えていて呼んでいる。そして、邂逅後その名を思い出せなくなるが、誰かが自分のすべきことを教えてくれた、という事は覚えている。瀧は図書館でその名を刻み込み確実に覚えている。しかし、三葉が眼前から消えてすぐ、その名を思い出せなくなる。この2つの事柄から、これまでの夢により記憶が不鮮明になるという処理ではなく、明らかに「名」を奪われたと考える方が自然である。

「名」「記憶」「実態」この三つの関係を考える時、「記憶」とは「実態」に属するものであることが考えられると思う。「夢」「想像」は実態を伴わないときの脳内の創造物であり、実体験がその源となっていたとしても「実態」を必要としない。しかし、「記憶」は実体験、本人の経験空間から生成される物であるから、「実態」がなければ生成されない。

(ここにさらに夢と実態の境界という問題もあるがここでは考えない。単純化するため、定義として夢と実態を区別する)

人は生きている時の流れの中で蓄積される、膨大な情報を管理するため「名」を設定していく。母、父、初恋、失恋、大切な人。自分以外の何かとの繋がりに「名」を与えることで簡単に検索できるようにしている。

君の名は。」で「名」を奪うという事は、実体験から生成された「記憶」の引き出しを破壊することを意味する。そこにあるのに、もはや引き出すことは出来ず、ぼんやりとした、なんだか思い出せない、大切なものがそこにはあり続ける。

この物語では、組紐が外部記憶装置の役割を持っているので、瀧と三葉で「名」を奪われた後の記憶の変化に違いが表れている。瀧は三葉との出会い後3年飛ばされ、さらにその空間は三葉の死んだ世界なので、記憶を一気に持っていかれる。しかし、三葉は自分の生きていける世界を構築していくので、その過程で徐々に「大切な人」を忘れていく。一度忘れてしまったら、壊れた引き出しからは、もはや思い出すことは出来ない。

だが、組紐があるため夢として、その思いを繋ぎ続ける。瀧は「酒」を飲んでいるので、もう取り憑かれているレベルで三葉を求め続ける。そして、2人の願いに引き寄せられるように、呼び合う魂が出会う。

そして、エンディングを迎える。

 ここまで追記\\\

////2016/12/26追加/// 

名と心のつながり

手を付けるべきでないところが気になってしまったようで、なんとも困ってしまった。

自分の実感ではどうも「名」というものは、その人のその「もの」への、認知の深さとかかわっているような気がする。学生時代と聞いた時、恋人と聞いた時、妻と聞いた時、一般名詞であっても聞いた人の心と結びつき、思いは広がっていく。では、固有名詞はどうなのか。ここには自分と他者の差がよりはっきりと表れる。その「名」と自分の心との結びつきが深いほど、思いは深くなり、そうでなければただの文字列になってしまう。「名」を知るとは、心が実体の認知について「自分以外の物」を自分の中に取り込む象徴的な行為なのかもしれない。役者さんには、配役による名、芸名、本名などあると思うが、本名はその人の私(わたくし)のものであり、芸名は役者の性質を現し、配役名は観客に物語る人を現す。「名」は自分と他者で、その広がりに全く違う世界を持った言葉だ。そして、心の中に広がる世界の象徴としての「三葉」「瀧」という固有名詞を奪うと心の中はどの様になるのか。想像するとちょっと怖い。

///ここまで///