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益次郎の考察部屋

気になったアニメの妄想考察

「君の名は。」 考察5

 

君の名は。」のネタバレを含む、感想、妄想考察です。他人の意見に左右されたくない人は御注意下さい。

 

 

 

  

本作を観て、この脚本の問題点も感じた。登場人物について説明を怠ると、アニメでは人物が途端に記号になってしまう。なぜそこでその人が、その行動をするのかがぼやけてしまう。私はグチグチと捏ね回して、自分なり納得し行くタイプなのだが、普通はそんなことしないと思う。(私も「千と千尋」以来2回目)

アニメではキャラクターデザイン以上の情報は声と、自身を語らせることでしかできない。キャラに性格を付与するには、それなりの時間そのキャラを語る動きが見えないと、なんとも薄っぺらになってしまう。(照明や音楽、効果音を使う方法もあるが、使いずぎるとなんかおかしな映画になる気がする。奥寺先輩はサントラでテーマ曲があるが作中で活かせてない?)

本作でのこの問題はテンポを壊し、映画そのものを壊してしまう、最大の敵になる。代替策として、「この人は親友、この人は先輩、この人は親、こんな人いるでしょ。」と記号化して配置し、あとは観た人が納得できるかどうかに丸投げする方法がある。

テンポと勢いが引っ張る前半はそれでいいが、後半にその付けが一気に回ってきているのだと思う。キャラを立たせる作業がお座なりだと、たとえば奥寺先輩は、「登場回数を増やしたかっただけでしょ」となってしまう。けっして、なおざりにしたのではなく、映画の構成上、お座なりに見えてしまうのだだろう。(本作で奥寺先輩は別れ、変わっていく空間の象徴としての意味が付与されています。また、一緒に飛騨に行く時アウトドア用の格好をしています。この人は思ったより行動範囲の広い人なのかもしれません。さらに、瀧の影に、もう一人の人を見ていて、自分を選ばなかった(瀧が選んだ)その子を確認しに行く、いたずら心なのかも。「君は昔私を好きで、今は誰かを好き」これは瀧と三葉2人に対して言ったのかもしれません。

100分強という上映時間は集中して映画を見るのにはちょうどいい時間だった。しかし、そのために失った物も大きかったと思う。(本作では、等価以上に得るものがあった方法だと、私は思っている。記号化することで情報は一瞬で伝わるが、魂が失われる。)

しかし、登場人物たちが、僅かに与えられた時間で話す言葉は、よく練られていると思う。その人の人となりに触れる小さな窓として機能している。(私のような妄想に絡め取られる危険もあるが)状況の説明より、その人が話すであろう言葉が聞ける。一葉だけは、ナビゲーターとして語ることが多いが伝承するような形なので違和感が少ない。

 

 

前回の記事で、

   瀧が本気で三葉を求め始めてからは1つの物語になっている。

と書いたが、三葉の体で「瀧の魂」が奉納したのは「三葉の半身」である。この時から、本当の物語が始まったのかも知れない。

 

そろそろ、妄想が映画を侵食し尽くしそうなので、この辺で止めるかも知れません。

 ここまで読んで下さり、ありがとう御座いました。