益次郎の考察部屋

気になったアニメの妄想考察

「天気の子」感想と考え

この文章は映画「天気の子」の構成、あらすじ等その内容を推察できる要素を含んでいます。映画を見ていない方は読まない方がいいと思います。又かなり重めの書き方になっているかも知れません。新海監督をはじめ「天気の子」を共に制作した方々は今回それだけ挑戦的な事をしていると思います。どこをどこまで掘ればいいのか・・・。怖い映画ですね。でも、「文句を言うなら答えてね。」と言っているだけの気もしますが。あと、ちょっと掘りすぎている(妄想しすぎている)かも知れませんので、距離をとりつつ読んでいただければと思います。

 

感想をはじめに書くと、陽菜と凪に生きてほしい。そして、よかった。かな。あと初めに思い出したのは「家裁の人:10巻ゴデチア」です。こちらは両親も健在で、助けてくれる大人もいる話ですが。次が三月のライオン。そして、鋼錬、ナウシカ6巻かな。

 

まずは印象に残っているシーンを箇条書きにしてみます。

  • 陽菜が見守る病室の母。陽菜のその表情は窓に映る射影として。室内の実映はぼやけている。言葉にできない、受け止めがたい、しかし、すでに心に決めているような意思が感じられる。そして、彼女の最初の願いは何だったのか。母親と凪を守る、生きる力を願ったのかも知れない。晴れた空の下、また一緒に歩むためには何が必要なのだろう。
  • 帆高がフェリーで遭遇する猛烈なスコール。踊る心と共に突風が吹きつける。まるでダウンバーストの様だか、風はすぐに過ぎ去り猛烈な雨だけがたたきつける「天気の子」では、風はあえて封印されている。
  • 弱さに対して厳しく、飲み込もうとする都市。帆高は偶然手に入れた拳銃を解放のための力として用いる。この映画の魔法か?(関係ないですがNHKの空港ピアノ、駅ピアノって番組を思い出した。)
  • 夏美の、空気を読みすぎて浮いてる感のある就活面接。回りまわって空気が読めてない。
  • 陽菜の部屋。その空間には生活感があり、きれいに整っていて、守り抜く意思を体現している様だった。だが、重苦しさが無くなったと言っていた帆高とは対照的に、その限界が近いことも、切られていく生の食材が表している。
  •  晴れ屋さん.。初めはささやかな願いの成就であるが、しだいに欲望に呑み込まれていく。そして最後のお願いは身近な人たちの為に。陽菜自身の最初のお願いは帆高の為に。帆高に会う前はお母さんの為に祈ってたのかな。きっと空が好きな人だったんだろう。
  • 古風なリーゼント警官、特高の現代版か?THEポリコレ。彼の正義はどこから来るのか。
  • 陽菜の秘密に風が吹く。
  • ラブホテルでの入浴。陽菜はここで帆高を巻き込み、凪を託す決断をしたのではないか。共に生き続ける希望を帆高への問いかけで殺す。女性の凄みが感じられる。
  • 帆高の想いを現す指輪。すべての想いを帆高に託した陽菜は、天空で帆高の想いの残滓によって、微かにこの世と繋がっている。 帆高は陽菜を失ってから、その問いかけがもたらした意味と想いを知る。ここまでにあった暗転の後の強烈な青空は、水浸しの大地と対極的に、まるで砂漠の様だった。
  • 帆高と連絡が付かなくて心配になったか、警察署の近くにいた夏美、直感的に折り目だ正しく、白バイ隊員がいいと帆高を乗せて、快走していく。
  • 自らの思いを意志として、走り出す帆高。だが、まだ風は吹かない。ついに神社の光を認め一気に駆け上がろうとするが、恩人である圭介は凪(気象現象の方)を求める。そこになんと本物の凪が、むき出された怒りの風を吹かせて、姉を返せと迫ってくる。階段をかけ昇っていく帆高、ついに風が吹く。天高く、帆、高々に、そして不器用に陽菜の思いの空を駆けていく。陽菜の心が帆高の想いで満たされ、意識を得る。ここで思った(力を使った)のは陽菜ではなく帆高だ。そして戻り竜、この竜って、陽菜のお母さんじゃないかな。力を使った二人が無事に戻るためには、もう一人誰かが必要な気がする。
  • 3年後、帆高と出会う陽菜。彼女の祈りは雨に対しての、出会いへの感謝だったのではないか。その陽菜を見つめる帆高、飛び立つ鳥(重要なのにディティールが思い出せないない;;)、祈りと共に実在する陽菜に涙する。対照的に陽菜は笑顔だ。
  • なんか、アニメーションが凄くよくなっている感じがする。カメラがアニメと共にあるというか。警察署から脱走し、リーゼント君に追いかけられて逃げるシーンの大通り左側を走る二人の制服警官、このカットの空間の使い方がなんかよかった。そしてこの映画、働いている人がいっぱい描かれている。
  • 福福になった雨。幸せそうだ。

 

こっから重い話になります。

 

 陽菜の意志と帆高の残滓が天空と混ざり合った後の空は、はたして、晴れた空なのだろうか。その空は新たな生贄を必要としないのだろうか。その必要性は物語の中でも語られている。なぜ、陽菜が願うまで誰も願わないのか。「そうせざるを得ない」というのは、言い訳でもあり、逃げでもあり、自己の選択結果でもある。社会がそうさせた、環境がそうさせた、これは不条理であって、個人か負うべきものはその世界と共にある。もし「天気の子」で問題になるのだとすれば、「本当にそうせざるを得なかったのか?」という問いに答えることが出来るか、にかかっている。そして、その問いに答えなければならないのは、子供ではない、大人である。更にこの問いかけは答えた者の欺瞞をも暴く。この問いに答えることはその者の正義の所在を明かす。なおかつ、その者の行いとの整合性、人と社会の相克の結果「せざるを得ない」自分と向き合うことを要求する。そして、沈黙もまた答えになる。圭介はその葛藤の代弁者として振舞う。晴れ渡る空を見つめ、陽菜の想いの結実に圧倒される。安井の指摘により自分の空間には残滓しかないことをさとり、その思い出と共に涙する。帆高と対峙した時はまだ影の中におり、帆高に道理を説こうとするが、その理は影に引きずられ、帆高の心には届かない。そして、この場面に登場する大人は三者三様。シリーズ物の実写なら、二人の刑事の物語も書き、5世代(凪、帆高、高井、圭介、安井)の男の物語が作れそうな、ドラマの厚みの空気がある。

そして実は一つ、重大な事実誤認がある、帆高が陽菜を救って起こったことは、雨が降ることで在って、都市が沈むことでは無い。都市が沈んだのは、都市が変わりゆく自然の変化(人間の起こす結果もその一部だ)に対応できなかった結果の帰結に過ぎない。だからこそ神津島からのフェリー航路も都市機能も回復途上なのだ。ここで起こっていることは、その機能を現実に合わせて変化させているだけだ。そして、この実体を経験した人々は新たな祈りを始めるだろう。その結実こそが「てんきにかえる」のである。だからこその「大丈夫」なのだ。

その過程で起こる最初の洪水で死傷者が出たかもしれない。しかし、それは「自然災害」に過ぎない。「人間は今の都市機能を未来永劫維持できる」という傲慢から来る思い込みが、この重大な事実誤認を引き起こす。そして、陽菜がもたらした、数時間の晴れは、洪水被害にあう可能性のある人たちが、避難できる猶予を作っている、と見ることも出来る。河川の氾濫は、雨が止んだ後でも起こる。

そして、帆高が望んだのは「天気なんてどうでもいい、ただ陽菜に在って欲しい」という事実だ。帆高と陽菜が穏やかな風に見送られ鳥居に返ってきた後、天気は元に戻り、過ぎていく月日のなかで結果として都市は水没する。その時帆高が思うのは、「あの時、自分が陽菜の実在を望んだせいかな?」という事後的な関連付けから来る罪悪感だ。なぜなら、人には予測は出来ても未来予知は出来ないからだ。帆高に文句を言う事は、日本や地球上で起こっている自然災害を予知しろというに等しい。ここでも「本当に予測できなかったのか?」という問いが立つ。だが、ザ・アメリカエンタメである、「デイ・アフター・トゥモロー」のSF設定部分を、災害予測として政策に反映させているような世界でなければ、この問いかけを基に批判することはできない。

これらは帆高が知っている真実を基にしたストーリーを神話として信じた場合に起こる錯誤から生じる。

この考え方は、この世界が狂っているのではなく、世界に対して狂ったことをしている人間、という逆説でも説明が付く。だがそもそも、宇宙のことを考えればそれすら意味を消失してしまう。過去を知り、今を感じ、思い、祈り、想う。そして未来を欲し、願う。それだけのことで人の世は出来ている。夏美が体現している事そのものだ。

そして、帆高と陽菜が変えて決まった世界とは、陽菜がこの地にいるという2人の世界のことなのだ。

 

 

 最後に京都アニメーションについて

私が京アニの作品を初めてすごいなぁと思ったのは「けいおん」だった。1話を見た時に、これは男のものではないと思った。そして、エンドロールを見ると、メインスタッフの多くが女性だった。なるほど、と納得してしまった。京アニの凄さはそこにあると思っている。「リズと青い鳥」では三人称視点のヒリヒリ感と共に、魂の友、片割れ、そういった女性にとっての「友」という概念の説明がされている。そしてリフレクティブに展開されていく、これからの関係性の始まりの物語がかかれている。ここに、性的な要素を重ねるかどうかは、その想いの形であって、意味はない。音楽という想いの形を用いることで、そのことに説得力を持たせていると思う。そういう意味では性差そのものを中和しているのかも知れない。そして、そこにこの映画のリアルを感じた。

また、定評のある作画についてだが「リズと青い鳥」では希美とみぞれが抱き合い、希美の表情の変化をほんの微かに揺れるカメラでアップにしていく。希美の瞳の揺らめきは告白の始めの方は3コマ、核心部分は2コマ、瞼の動きは3コマ、そして、希美の言葉を受けたみぞれの表情は3コマで、心がもたらす動きを作画していく。「君の名は。」での髪を結いつつ鏡を見つめて涙する三葉と似た印象を受けた。この時の三葉のアップも瞳のきらめき2コマ、涙と動き3コマである。プロの説明がこちらに。

第2回 アニメの「コマ打ち」とは何か――井上俊之が語る「コマ打ち」の特性 | かみのたね

この後、二羽で寄り添いながら並走する鳥のカットはちゃんと飛んで見える。実はこれがすごく難しい、と私は思っていて、飛んでいるとそれだけで、すごいなぁと思ってしまいます。(ここを宮崎駿さんと比較するのは酷です。そして、宮崎駿さんも一人で作っているわけではないのです。また、上述した希美とみぞれのシーンは宮崎さんには描けません。作品は一つずつ、作品です。と書くことで私が比較してしまったことがバレルわけです。)

そして、作品として完成させるためには、そのレベルを、全体を通して維持しなければならない。京アニはTV作品でも、そのレベルを常に求め続けている。