益次郎の考察部屋

気になったアニメの妄想考察

「未来のミライ」考察

この文章は映画「未来のミライ」の構成、あらすじ等その内容を推察できる要素を含んでいます。映画を見ていない方は読まないようにしましょう。

 

未来のミライ」は、オープニングの天空から俯瞰し家の中心たる木を経てくんちゃんに至るまでのカットで終わっている。そのあとの部分はすべてその説明に過ぎない。そして、その説明を見せられるのがまた疲れる。アニメーションの力で何とか繋ぎ止めている感じがする。

 

 このオープニングは、広大な世界と人の意識という最も小さい世界とは不可分で連続的にそして動的に存在するものだ、という事なのではないか。その事を4歳のくんちゃんが「家族」と共に自己をおぼろげに確認していく、ということによって物語る。

 

その自己意識を成すものを

・ゆっこ

・誕生、命名

・ミライちゃん

・くんちゃん

・未来

・青年クンちゃん

・おかあさん、おとうさん

・じいじ、ばあば

・ひいおばあちゃん、おじいちゃん

 

という、おぼろげな現実までを含めた「家族」によって構成し「人」の成り立ちを説明している。そこには当然、その家族が生きた時代の風が含まれている。ひいおじいさんの「刻」を告げる強烈なエンジン音はその「時」の凄まじさを表している。(「風立ちぬ」を意識していると思う。)日本人にとっての第二次世界大戦の呪い。しかし、その影は「この世界の片隅に」よりもさらにおぼろげでそのことに主題性はない。

戦争をどう扱うかは本当に難しい。しかし、これからを生きていく人の現実感としては、このような表現にこそ真実味があるのだと思う。だからこそ別の表現も必要なのかも知れないが、しかし、プロパガンダにならないで、戦争の本質のほんの一部でも表現できないかという、ぎりぎりの線を狙ったのではないか。敗戦から復興までの困難と活力の「時」と、子供の小さな挫折と克服の「時」が同列の「刻」として、人間社会で最も大きい問題かもしれない「戦争」と、最も小さい「己」を確立する問題が重なって描かれる。

 

なんで100分の映画でこんなにも疲れるのか?

この映画が疲れるのは、一見クンちゃんの物語のように進むが、実はくんちゃんはナビゲーターでしかない。くんちゃんの赴く先にはそれぞれが主人公の物語が存在している。(犬も含めて森羅万象すべて。樫の木がそれを象徴している)そのショートフィルムを次々に見せれられるので、見ている人のフォーカスがずれまくる。しかし、現実の世代間や問題認識などによる差異は、得てしてそんな風にして起こる。この事から考えると、「未来のミライ」へのすべての評価には理があるという事なのではないか。それを許容する見え方をする映画なのかもしれない。なにせナビゲーターが4歳の「ガキ」なので、道徳も理念も哲学も思想も宗教も何もない。やはりつかれる映画なのだ。そのなかで、未来のミライちゃんが度々助け舟を出してくれ、くんちゃんが映画ごと虚無に落ちるのを防いでいる。

ここで厳しいのが、4歳くんちゃんと、青年くんちゃんの部分だ。4歳くんちゃんの視点で社会的役割の認識と自立と自己認識の確立という青春的な困難が描かれる。そしてくんちゃんは4歳のまま、青年くんちゃんの影の体験をさせられる。ここはきつい。子供にはきつすぎる。迷子まではいいのだが、どんどん追い落としていく。子供の理解を超えているところまで落としていく。あそこに立っているのは本来は青年くんちゃんなのだ。しかし、映画構成上ここで4歳くんちゃんが青年くんちゃんに置き換わってしまっては困る。そのために4歳くんちゃんとこの映画を見に来た子供たちは同じようなトラウマ体験をさせられる。後述する問題点だ。なんとか虚無から逃れて、4歳くんちゃんが未来のミライちゃんの「刻」に見る青年くんちゃんは実体で、4歳くんちゃんが影になっている。

この映画では4歳くんちゃんが生命の刻の影としてナビゲートするので、体面を気にしない、素の人間をそれほどの違和感なしに描くことが可能になる。きわめてリアリティーを持った構成をしている。しかし、これを見せられるのも中々疲れる。この事は劇中でもインデックスという事であっさりと説明されている。(この言葉が出て来た時、僕は「ああ細田監督だ」とおもってしまった。)

上述のように「未来のミライ」はそれぞれのショートストーリーの主題がくんちゃんの自己形成とリンクして描かれていく。

 

 

ゆっこ         嫉妬

未来のミライ      思いやり

おかあさん       衝動

ひいじいじ       努力(諦めない心)

青年クンちゃん     抑制(自我の肥大と抑制)

 

 そして、それらが形成する「人」という生命に宿る意識が、思いのほか多くのつながりによって作られ、受け継がれて来たものだという事がオープニングで表されている。

これらの物語を4歳くんちゃんは理屈なしに飲み込んでいく。ミライちゃんが「家族」として立ちはだかることによって、自分の思い通りにならない世界があると知る。最後に経験する青年くんちゃんは未来のミライ、そこから先は彼自身が切り開いていかなければならい。そして、その助けとなるのは人と人のつながりであり、広がる世界とのつながりである。エンディングに表されているのは、未来のミライのくんちゃんの世界の、その広がりに対する親の願いなのかもしれない。

 

この映画の問題点

 映画の中身は自己の成り立ちを説明しているので、結構ぎりぎりの要素ばかりで構成されている。思うに、不意に自宅になまはげが侵入してきたら、自衛を図らざるおえない。大人はいい「つまらん映画だ」ですむ。だが子供にとってのそれは泣くことになる。 この映画はサイコホラーだ(児童向け表現の一線を超えている)。PG12相当。子供の心に親も不意打ちのホラーを土足で踏み込ませるのはまずいと思う。現実ではそんなことも多々あるが、それはその時に経験すればいい。子供の映画体験という現実には相応しくないと思う。よって、10歳以下の子供は見るべきでない。来てしまうかもしれない子供たちへの配慮が足りないと感じた。子供へのだまし討ちが主題なのだったら、騙された親が悪いという事になるが・・・。

 

感想

疲れた・・・。